毒母との同居がしんどい人たちへ。毒母から逃れるためにやるべき3つのこと。
私の実母は毒母です。
私自身、24歳の時に結婚のため家を出ましたが、今年改めて母親と同居をして、自分の母親はかなりの毒母だということに気が付きました。
正確に言うと、気が付いたのではなく、「思い出した」。
私はかつてこの毒母から逃れるために、「結婚」という方法を使って家を出ることに成功したのです。
そもそも毒母とは?どんな母親のことを言うのか?
毒母とは、一言では表せないくらい色々なタイプがありますが、根本的には「子供を自分の物のように支配する親」のことです。
すなわち、「本当に子供のためではなく、自分の利益や都合だけで、子供を自分の思う通りに完全にコントロールしたい」と思っている親なのですね。
ただ単に、虐待をする親が毒親ではありません。
自分が良かれと思って、子供のためにやっていることが、実は子供には苦痛だったりするのです。
なので、結果的に子供はそれを受け入れてしまうので、「毒親」だと気がつきにくいケースが多いのです。
私が幼少期~成人までの毒母体験。
私が幼少期~高校生の頃までの毒母からの仕打ち。
父、母共に共働きで私は2歳から保育園に通っていました。
その頃の思い出はポツリポツリとある感じで、ただ保育園で母のお迎えが遅かった時が、一番さみしかった記憶があります。
幼少時代は、兄がいたものの、母親にあまりかまってもらえず、とにかく寂しかったので寂しさを埋めるように絵を描いていました。
けれども、その頃は母親や家族の温かい記憶があるから、まだ良かった。
そして、小学生低学年の頃にバブルが弾けた影響で父の給料が減り、母と父はいつもお金のことでケンカをして、家の中は常にピリピリしていました。
両親の仲は悪く、「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえり」の家族であれば当たり前に交わされる言葉もなく、食事の時も誰もしゃべることもなく、静かでした。
父が「無口な頑固おやじ」のせいもありましたが・・・。
それ以降、仕事から帰ってきた母は色々なストレスを私にぶつけ始めたのです。
私が何もしていないのに、いきなり文句をつけてきたり。
本当に怒られるようなことはしていないのに、いきなり怒られる理不尽さ。 上に兄がいる私は勝気な性格だったので、母親に「そんなのただの八つ当たりじゃん!」と反抗していました。
兄はおとなしい性格だったので反抗することもなく、母のお気に入りだったようです。
私は同性ということもあり、何かにつけて目を付けられてネチネチと嫌みを言われる生活を送っていました。
高校生の頃は、髪を染めたりおしゃれしただけで、「○○さんみたいに地味にしなさい!」と私の友達の名前を出されて、言われたりしました。
私が社会人~現在までの毒母の行動。
一番、最悪だったことは、私の夢を潰したこと。 母はドリームキラー(夢を潰す人)でもあるのです。
私はある夢を叶えるために、高校を卒業した後、仕事をしながら頑張っていたのですが、ある日突然「夢をあきらめなさい!」と言われたのです。
自分の親に夢をあきらめろと言われ、私は完全にショックを受け、「早く実家を出たい」という思いから、24歳で前の旦那と結婚しました。
それから、実家を出て12年・・・。
離婚・再婚・妊娠・出産・・・。私自身の変化も色々とありました。
嫌いな両親から離れて落ち着いて過ごしていましたが、長女が幼稚園に通う年齢になった頃、送り迎えなど色々と大変だから、実家の近くに引っ越してきなさいと母から言われました。
その時も、今思い返せば母親の言いなりのような感じで、バタバタと引越しが決まっていった感じです。
引っ越し費用も母が借すということで、母親のペースで動きました。
実はその頃、長女が幼稚園に入園する前に、旦那の両親が住む実家の近くに引っ越そうか、という話が出ていました。
けれども、旦那の仕事での本社が東京にあるので、新幹線で行くことができないことや、十分な引っ越し費用が用意できなかったので、その話は流れました。
この話は実母にしていたので、「娘が遠くに引越して欲しくない、自分の近くにいて欲しい」という母の気持ちが、私たち家族を実家の近くにむりやり引っ越させたのだと思います。
そして、父の癌が発覚して2年が過ぎて、父がもう入院して家に帰って来られなくなった時。
その時、またも母が私たち家族に「同居」することを強制的に進めてしまったのです。
当時、私は出産してから、わずか2週間後に同居の話をされ、私たちがうなずく前にどんどん話を母が進めていったのでした。
実家にはいれば家賃もなくなり、母もお金を入れてくれているので、だいぶ金銭的には楽になる。それに対しては、感謝しています。
でも今では、金銭的に困っていたとはいえ、なぜ断らなかったのかと自分を責めてしまいます。
私の旦那は長男。 遠く離れた旦那の両親のこともあるし、何より私の父と母の事を思って同居を決意してくれた旦那に対して、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そして結果、同居したことを本当に後悔しています。
母が私たちの家族を実家に入れた理由は、自分の老後の介護をさせるためと、世間に対する見栄のためです。 これっぽっちも、私たちのことは考えていませんでした。
同居を始めて実感での慣れない生活の中、産後の身体で4人の子供を育てながら、必死に毎日頑張っていましたが、母は子供たちの世話の手助けすることもなく、むしろ 「夜8時以降は子供を静かにさせろ!」とか 「夜は9時には子供を寝かせろ!○○(私の名前)次第だぞ!」と もの凄い剣幕で怒鳴られたこともあります。
8月のケンカ以来、母も考えを改めてくれたらしく、今では孫の世話や家事の協力してくれますが、私はもう母親の面倒を見る気はありませんし、別居するために行動しています。
けれども、母親の毒が完全に抜けることはなく、私の子供に対して「おばかさん」などけなす言葉をかけたりします。
正直、「私の子供にまで毒を吐くか!」と怒りたいですが、子どもたちに 「おばあちゃんの言うことは聞かなくていいよ」とスルーしています。
次女もハッキリと本音は言いませんが、「おばあちゃん家は怖い」「おばあちゃん家は飽きたから引っ越したい」と言っています。
母親も、まだまだ動けるし元気な状態。 もし母が病気になったら、兄夫婦にまかせっきりにするつもりもなく、介護の手助けもするつもりです。
ただ、別居したいだけ。
別々暮らしていた時の方が、お互いを思いやれていました。 「遠すぎず、近すぎず、ちょうどいい距離でお互い別々に暮らす」方が、お互いの幸せのためには良いのです。
私が実家から出たい理由。
結局、旦那や子供がどうしたいのではなく、私自身がどうしたいのかが重要なのです。
もちろん、高齢の母に一人暮らしをさせて大丈夫なのか、など心配になります。
孤独死もして欲しいわけではありません。
それに、この実家を出て行く理由は十分にあります。 その理由とは
- 私の兄夫婦が近くに住んでいる。(母の面倒を任せられる。)
- 私の旦那は長男で、遠方に両親が暮らしている。(ゆくゆくはこちらの老後を見なくてはならない。)
- 子供が4人いるのでいずれは、この家を出ないと部屋数の問題もある。
毒母(毒親)から逃れるために、やるべき3つのこととは?
1、 親が元気なうちは、同居不要!すでに同居している場合は、別居しよう!
人間、本当に動けなくなるまで「プライド」を捨てることはできません。
「まだ自分は若いんだ」「まだ十分に動けるから」親がそんな風に思っているうちは、同居は不要です。
同居することによって、出来ることも奪ってしまい、かえって親を老けさせてしまうことも。
親と同居するのは、親が(病気などで)本当に動けなくなってからで良いのです。
毒親とすでに同居している場合は、別居を検討した方が良いでしょう。
私自身、別居するために引越し資金を、来年は頑張って貯めるつもりでいます!
2、 子供だろうと、責任を感じることなかれ。介護の責任は、ムリに背負う必要はない!
親の介護は、いずれはしなくてはならない時がきます。
でも、自分で全て背負わなくていいのです。時には、逃げても良いのです。
きょうだいがいれば、きょうだいに任せることも選択しましょう。
ただ、親の「ほっぽりっ放し」はダメです。
3、 親は親、自分は自分。自分の人生を一番大切にしよう!
親のために、「良い娘」を演じなくて良いのです。
だいたい、毒親のえじきになるのは、「聞き分けの良い優等生タイプ」なのです。
- 母親の言うことは絶対ではない。
- 母親の言うことは必ず正しいわけではない。
- 母親の言うことを、全て聞いてはいけない。
一番大切なのは、自分の新しい家族です。 自分も母親なので、自分の旦那と子供たちのことを第一優先しましょう!
↓毒親から逃れるために読んでおきたい本。